かねてより病気と闘っている友人がいるとお話してきましたが、1月19日に永眠いたしました。
前日、夜の10時過ぎまで付き添っていましたが、状態が安定していたため帰宅し、のんチンたちのお家のお掃除やご飯の世話などをして、持ち帰っていた仕事をPCで仕事をしていました。
深夜の電話というのは、ほとんどの場合、あまりいい知らせではありません。午前3時頃、PCに集中していたワタシはケータイの着信音に飛び上がり、さらには発信元の名前を見て悪い予感・・・。それは容態急変の電話でした。いちばん病院に近いワタシが電話から10分後ぐらいに病院に到着し、その10分後ぐらいにはこちらも親しい友人である彼の妻Rがもう1人の友人Yの車で到着。
酸素飽和度も血圧もひどく下がっていて、異常に呼吸が浅く目もうつろな状態でした。呼びかけにも反応はまったくなく、酸素マスクから送られる酸素の量もMAXまでになり、ただただ祈るような気持ちでワタシたちは見守っていました。
暫くすると血圧は低いものの、ようやく酸素飽和度が上昇。いわゆる小康状態になったので、ワタシは次の日の仕事のためにいったん帰宅しました。残っていた仕事を少しやっつけ2時間ほど寝て出勤。9時ぐらいにはさらに別の友人Nが来たらしく、Yも自宅で1時間ほど仮眠をとり仕事へ。
そしてその日の午後4時前のことでした。再び急変の知らせ。ワタシはどうしても職場を離れられない状態。同じ職場のYがすぐに車で病院へ向かいましたが、車中で臨終の知らせを受取りました。ワタシは職場でNから「4時2分だった…」と。電話の向こうから妻Rの叫びに近いような泣き声が聞こえていました。
葬儀はRの希望で家族葬に。といっても親族だけということではなく、ごく親しい友人・知人も含め、彼の近しい存在の人たちだけで送ることに。それでも彼の人柄を慕っていた人は数多く、70人とも80人ともしれないほどの人たちが早すぎる彼の死を悼みました。
自分のことより他人のことを優先し、不平不満を漏らさず、誰よりも仕事熱心で、我慢強く、人のことを悪く言わず、そして妻を愛していた人でした。これまで何度もお葬式に参列したことはありますが、すべての参列者が涙を流したお葬式をワタシは初めて見ました。だいの大人たちが嗚咽を漏らし涙にくれました。
ずっと昔、ある人にこう言われたことがあります。「人間は死に様を作るために生きているんだ」と・・・。若かったワタシはピンとこずにただ「ふーん」という感じでしたが、今となってはその意味が身にしみてわかる気がします。
残していったRのことはきっと気がかりでしょうが、安らかに眠ってほしいと心から願ってやみません。合掌。
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